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architecturephoto(湖東の家)
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塔本シスコ展|シスコ・パラダイス
夫の祖母、塔本シスコの展覧会が始まります。 塔本シスコ展「シスコ・パラダイス」 ~かかずにはいられない!人生絵日記~ 会期 :2021年9月4日(土)~11月7日(日) 休館日:毎週月曜日 ただし9月20日(月・祝)は開館、翌9月21日(火)は休館 会場 :世田谷美術館1階展示室 詳細は世田谷美術館企画展ページご確認下さい↓ https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/special/detail.php?id=sp00206 世田谷美術館から始まり、 熊本市現代美術館 2022年2月 5日(土)- 4月10日(日) 岐阜県美術館 2022年4月23日(土)- 6月26日(日)(予定) 滋賀県立美術館 2022年7月 9日(土)- 9月 4日(日)(予定) を巡回予定です。 お近くの方は是非チェックしてみて下さい! 太陽のように明るいシスコさんの絵は、悲しいことも含め人生は喜びに溢れている、そんな風に思わせてくれます。
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写真更新しました(丹生川の古民家)
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一年点検(湖東の家)
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2021夏季休暇のお知らせ
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素材について
ブラタモリ見てますか?私はタモリさんが「いいとも」をされていた東京編の頃からのファンで、先日タモリさんが「鉄道好きっていうのは、着いた時に(グランドレベルで)その土地をすぐ見たいと思っていて、設計者の方はなんですぐに高架にしてしまうんでしょうね、おわかりになっていない。」というようなことを訴えてられて、云々と頷いたのは私だけでしょうか? 安全性や交通面ですぐに上げてしまいますが、電車に乗っている楽しさが半減するだけでなく、高架で街も分断されますよね。高層ビルの乱立やスケールアウトした建造物の建設や街づくりなども私にとっては感覚とずれてしまうものですが、人の感覚とずれて開発が進むのは一体誰が希望していることなんですかね。土地の高効率利用というけれど、空き家が多いくらいなのに、国土をもっと広く利用すればいいだけのことなんじゃないんだろうか。一見地面に見える人口地盤も思ったのと違う音がして、大地に立っている安心感がないんですよね。見えなければいいという問題でもないです。人の感覚は意外とするどい。 さて、4月から省エネ法の適応範囲が拡大したり、コロナ禍で考えさせられたり、東北の地震の時に感じた違和感のまま結局根本的には何も変えないまま10年ほど過ぎましたが、何等か作り方や流れそのものを改める必要があるように感じ色々考えています。 とはいえ、私一人で何が変わるんだろうと思いもするのですが、今は考えがすぐに繋がりやすいので、やってみたいと思います。 目標の設定です。とにかく必死に仕事をしていると忙殺し、もちろん施主とその場所で共感し、喜んでもらえることが一番ですが、そうやっていることの先に自分が何の役に立っているのか、少しでもそこに近づいているのかみたいなことがないと乗り越えられない気がしたのです。 学生の時に「何か新しいものを。見たことのないものを。」という指導に建築を作るということは何か消費活動に加担することになるのではないだろうかと悩んでいました。そうならないために、できるだけ長持ちするもの、長く愛されるものを作り、サイクルをゆっくりするしかないという考えに至ったのですが、9.11の時に感じた本来人を救うためにある宗教があそこまで追い込んでしまうことになった原因、東北の震災の時の人災の気持ち悪さ、そして今回のコロナ禍。薄々感じていたあやしさはやっぱり大丈夫じゃないと思ったのは私だけではないと思います。 気になったことは、 ①エネルギー問題 今や世界の問題になってしまった温暖化や気候変動の問題をクリアしないと先はないのではないか。その大きな要因の一つ、なくてはならないエネルギーはどうすれば負担を減らせるのだろう。世界中の人の豊かな生活を望むなら、もっとたくさんのエネルギーが必要になる。 ②ゴミ問題 エネルギーを削減しなければならないのに、なぜゴミ処理に追われるのだろう。 すぐゴミになるものを作らない、使わない、ゴミにしない方法を考えないと作ることにかけたエネルギーが無駄になり、処分にも力がいる。 ③資本主義の行く末 様々な問題の根源は私たちの社会システムの構造や哲学を考え直す時期にあるのではないか。 問題があまりにも大きく、全ての問題に対応できるわけではないですが、「住」に携わるものとして、どうすれば共生・循環型の生活ができるんだろうと考えた時、建築の場合、物質の伴うもの作りなので、システムの再構築が必要だとするとやはり素材・構成部材のとり扱いについて考えるしかないと思いました。建築をつくる上で美しさや空間のおもしろさは、今後も味わいたいですが、もっと差し迫った所にいる気がしてならず、まずはそのシステムの枠、倫理観のガイドを決めないと気持ち悪くなったのです。 素材を生かす(大事にする、個性を見る) 地産地消 突き詰めると、理想はこれです。なんだか美味しそうな言葉。結局それかよと言われそうですが。 あと、もうそんなに作らなくてもいいとすると 量より質 ・木造から検討する もちろんその他の構造も適材適所で検討します。けれど廃棄までのトータルエネルギーを考えると木造が一番省エネです。資源の少ない日本で自国で賄える安定した建材は木しかありません。また、戦後植えられた木が使うに適したタイミングになっています。杉ばかりの林を作ったことが良いことかわかりませんが、現実長い年月かけて育っているものがあるので、そこを使い回していくしかないんじゃないでしょうか。植えた木が使われることがある程度保障されれば、次世代の担い手が現れるはずです。そうなれば、今は育っているものを使って、次の50年はこれも試してみようかなと考えてくれるようになるのではないでしょうか。さらに近場で材料を調達できると輸送にかかるCO2やコストを削減でき、地元の林業やそれに係る産業が潤います。ネットでどこでも繋がれる時代ですが、地域での顔の見えるコミュニケーションは生きがいそのものにつながると思います。エネルギーも食材も建材も私たちが日常に必要なものはできるだけ近場で、情報は世界へというのはどうでしょう?ボタン一つで遠くのものが手に入ることは便利ですが、あまりの簡単さに私たちはそれがどういったことなのか、想像が追いつかないように思います。 木造は他の構造に比べると、スパンが短くなったりなど、特に無垢材利用ですと小規模になりやすい傾向がありますが、そもそも大規模な建物を作る必要がそんなにあるんでしょうか。また石造りなどに比べると改修時の自由度は高いです。 建材は町を作ります。世界中同じ素材で出来た同じような町よりも私は地域により個性を保った町を歩きたいと思います。 ・木質材料 合板や集成材も悪くはありませんが、特に構造材に関しては日本人ならではの特別な思い入れがあるように思います。無垢材で組みあがった建方の様子は美しいと感じます。仕上げてしまって見えないとしても、魂は売れないというか、そこは神聖な部分でできれば守りたいと思います。大黒柱は構造的な理由もありますが、生活に近いところで、どこか木の命を感じ安心したいのではないでしょうか。木のいいところは温かく生命力を感じるところですが、加工すればするほど生命感は無くなっていきます。職人さんの手は自然からいただいたたものに、命を吹き込む力があると思っています。その関係性を見ていると、生命感の残る材料の方が力を発揮できるように感じます。 ・既存建築物の利用 既存建築物を素材又はその集合体の一つだと考えてはどうだろうと思ったのですが、いかがでしょう? まずは今すでにあるものに対して、どうすれば最小限の工夫で自分と環境・物がいい関係を築き、快適に過ごせるかを考えてみる。 人口減少で段々建物が余る予測です。省エネを目指し、再利用を進める場合、再資源化するために戻りが少ないことがよりエネルギーを使わず済みます。 極論をいえば、もう私たちは廃墟のようになる予定の既存の街や建物を、手直しまたは間引きながら生きていくことが一番省エネではないかと思ってしまいます。そこでリノベーションやリフォームになりますが、できればリフォームにして安く済ませようという感覚の意識改革をしたいと思います。改修の場合、現場合わせの要素が多く、既製品がはめ込みにくい傾向があります。棟ごと、部分ごとに検討・作成する必要があり、手間がかかります。手間がかかるということは時間がかかり、人件費がかかります。そこのギャップが消費者に伝わりにくく、現場からの主張が必要に感じています。環境を守りながら、経済を動かしていくことを考えると、今後物質の伴わない交換、サービスを増やす必要があります。改修の場合、新築に比べると、新調するものが少なく安価に済みそうですが、その浮いた分を、新築ではする必要のない箇所箇所の個別の検討時間、部分解体費(やさしく壊すことも手間がかかります。)、少し高くても廃棄時にも負担が少ない材料、既製品では現場には収まらない職人さんの腕に頼る仕事に投資してると考えていただけるようになれば、品質の高いリノベーションができるようになり、一度したリノベーションの内容が次の使い手にも 引き継いでもらいやすくなると思います。 ・既製品、新建材 既製品は大量生産が必要な場合、便利ですが、一方で、原価に加え、広告費、そもそもサイクルが大きいので各工程で係る人が多く人件費など計上して価格設定しています。実際そのものとしての価格が妥当かというと難しいところもあります。建売など安い物件は既製部品を組み立てるような作り方をしていますが、単価が安いので時間的に忙しく、大工さんも出来上がったものに満足ができず、ただ疲弊するというサイクルになりがちです。お金は目的そのものにはならないと思いますが、ものごとを継続していく上では、いい関係と循環が必要だと考えています。建築現場でも人がものに使われることが起きています。この流れを止めるには消費者が何が今後に繋がる買い物か考えることが一番近道に思います。また新建材の多くは樹脂でコーティングされていて、製品を作る過程でも多くCO2を排出し、作り手も満足させず、住み手も継続して不快感があるのであれば、長く使うものに新建材を利用することに疑問があります。また日本中の建物が樹脂塗料や既製の外装材に覆われている現状の光景は美しいと思えません。 ・仕上げ 自然素材をお勧めしています。今までは経年変化が美しいから、安心感があるからという理由でお勧めしていましたが、生産時の加工の手間がシンプルで、使用時も快適で、廃棄も環境への負担が少ないのであらば複雑な材料を作り出す必要があるのでしょうか。自然素材は不均質で、精度が作り手によって左右されるところは不安要素ではありますが、人の個性が残ることは、おもしろさで、そうであるからこそ心して仕事にかかれるようにも思います。また手仕事は長い時間に渡って安心感を与えます。 ・設備 エネルギー問題に直結する部分ですが、エネルギーもできるだけ地産地消が良いのではないでしょうか。一番近場で作るとなると太陽光発電も検討する必要がある気がしています。美観と廃棄時のリサイクルがスムーズにいくのかという点、一機に導入が進んだ場合、電線等既設の設備が追いつかないのではという心配もありますが、遠くから運んでくるロスや、システムの大きさによって不明確になっているところもあると考えると身近で作る方が管理しやすそうに思います。再生可能エネルギー導入を進めていくには、地域によって自然環境が違うことを考えると、市単位くらいで、「うち(の市)ならこれができるな」と考えるのもおもしろそうだと思ったのですがいかがでしょう。個人に蓄電池まで負担させることはまだ設備費負担が大きいので、電気自動車への蓄電程度にとどめて、ため池のような感覚で、近所に地域の拠点として配置できないですかね。災害時にも地域で助け合うという認識で。そういったことが進めば、あの市はエネルギーの考え方が進んでいるから・安くつくからなどを理由に選んでもらえるようになりませんかね? 山の斜面を利用し、棚田が作られ、その流れで水が張られていく様子を私たちは美しいと感じますが、それは地形を読みエネルギーをうまく使い、調和しているからだと思うのです。そういったイメージで界隈のエネルギーを発掘できるといいんですが。地域の自然環境は重要な素材です。また電気エネルギーの形が使いやすいからか、今は何でも家電のようになっていますが、電気に変換せずにそのまま使えるエネルギーもたくさんある気がします。 ・断熱材、遮熱材 ・緑化、庭 人間がいなければ、そのうち緑が繁茂すると思います。人間の活動により環境破壊が進んでいますが、自然に還していくイメージで緑化してはどうでしょう。建築で思うような居心地の良い空間を作る労力や費用を考えると、木を植える方がすぐに効果が得られます。 以上、まだ方針のみでなかなかまとまらないのですが、一旦アップさせていただきます。まだ全部わからない、浅はかかもしれないとも思うのですが、同じように考えている人がいるとわかるだけでも励みになったり、希望を持てることもあると思います。全てわからなくても得意なことで案を出し合って進めば良いのではないでしょうか。 「美」というのは生命力を感じる感性で、自分が生きていくことに適した環境を人は美しいと思うそうです。この仕事をしている以上、そうでなくとも、そういった場所を増やしたい、守りたいと思ってしまうのです。特別な誰かの価値観に頼らず、もっとみんな自分の「美」を頼りに行動してもいいんじゃないでしょうか。個々に考えたとしても、その先に見えるものは結構近い景色にも思うのですが。
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丹生川の古民家 撮影
さて、写真撮影第三段!行ってきました高山~ 撮影は笹の倉舎さん。今年は梅雨入りが早かったこともあり、お天気がギリギリまでやきもきしましたが、丁度良いくらいに晴れて無事撮影できました。 遠方ということで、内覧会もできなかったので、(笹倉)ご夫妻に見て頂いて、喜んで頂けたので、一つ自信につながりました。 住宅は写真でしか多くの方に見て頂ける機会をなかなかもてないので、コンセプトの共有を試みてみたり、現場でもここはこういうところを見せたかったなどご説明して、それならこう撮るかなどの掛け合いで作っています。おもしろいのは、人の視覚はかなり頭で補正されて認識されているということがわかるとき。カメラで機械的に撮ると内装材の影響等で結構染まっていても、私たちはクリアの色で認識していたり、人の視野は見やすい部分とその周辺で空間をとらえていますが、それを二次元の絵にするとどうなるのか。デジカメで画期的だったのは編集により暗い部屋と明るい外部が一枚にまとまるようになったことですかね。アナログの頃は庭が明るいと部屋が真っ暗に映ってしまうので、コントラストを少しでも緩和するため、煌々と部屋の電気をつけてを調整しているようでしたが、実際の生活では明るい部屋で照明を煌々とつける必要がないので、なんだかな―と思ってました。機械だとついていけないコントラストも私たちは頭の中で部屋内の情報と屋外の情報をとらえて瞬時に合成しているのかもしれませんね。そういう普段私たちが頭の中で処理している調整を現場で撮った写真をもとに、認識に近い形に磨き上げて下さいます。 さて、二次元はプロにお任せして今回は動画も撮ってきました! 環境のすばらしいところで、音も環境を作る重要な構成要素ですのでぜひ感じてみて下さい。川、虫の声、鳥聞こえてきますかね? (※ノーカット、ノー編集でお届けしています。真剣に見すぎず、雰囲気だけお楽しみくださいませ。) あとは匂いと触感をどう伝えるかですが、これは記憶に結びつきやすい感覚なので、言葉を足すような形で補正できないかなと考えています。
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第13回関西建築家新人賞 応募(湖東の家)
年明けに思い立って、チャレンジあるのみ!と応募してみた関西建築家新人賞。 自宅の引っ越しをしていると、一次審査通過のメール。 えー!捨てる神あれば拾う神ありー!(何にも捨てられていないのですが) と喜んで、二次の現地審査。 とにかく初めてで、お越しいただいた皆さん、お付き合いいただいた建主にも本当に申し訳ないくらい散々だったんです。 プレゼンすべきところで、なんというかもう審査員の方から助け舟出していただいても、乗れないみたいな。 というわけで大失敗…とトボトボ帰ったのでした。 結果やっぱり受賞は逃したのですが、講評が嬉しくて良ければ見てみて下さい。 第13回関西建築家新人賞 「湖東の家」烏野良子 (↓私の失敗は(かっこ書き)でたしなめられるほどだったようです。) 第13回関西建築家新人賞 講評 二次審査の失敗にあまりにがっかりしていたので、もうこれだけで満足してしまったのですが、45歳まで新人でいられるようなので、またチャレンジできますね。私にとっては専門の方に見ていただける良い機会となりました。 温かなお言葉ありがとうございます。励みにがんばります。
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WEB内覧会 子供室(湖東の家)
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WEB内覧会 階段室(湖東の家)
階段室は北向きの横長窓で安定した明るさを確保しています。窓は外付け(構造柱の外側につける)にし、段板から手が届きにくい高さの建具(奥)は、(写真)手前に引いてきて掃除できるようにしています。1階廊下との隔て腰壁は低めにし、階段室の明かりが廊下まで伝わりやすくしました。腰壁が低いので、子供たちの落下防止で木格子がついています。このお向かいに文庫棚があって階段で読んだり、隣接する寝室で寝る前に読んだり、という設定です。階段材はそんなわけで、一定時間座っていても冷たく感じにくい、柔らかいパイン材の浮造り加工のものにしました。手摺はタモ材で家具屋さんが受材までカッコ良く仕上げて下さいました。
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