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  • 謹賀新年2024

    明けましておめでとうございます。 すっかりご無沙汰しておりますが、現在ホームページの引っ越し作業を進めておりまして、荷物が多くならないようにとブログ更新を控えております。大詰めですので、年度内くらいには新しいホームページを公開できればと考えております。近況はインスタグラムに投稿しております。2014年に起業し、6月で10周年になります。建主の方からの年賀状で新しい家族が増えたお知らせや、お子様がスクスク育ってられるお写真を拝見すると、生命力を養える場所を作ることにお役に立てたような気分になって嬉しくなります。高校生の頃、何か一生追い求められるものを見つけて、それを使いこなして、誰かの日常の中で元気が出たり、ワクワクしたりするような働きかけができるような仕事を持ちたいと思った時のことを娘が大きくなってきたからか最近思い出します。まだまだ使いこなせる領域には達しませんが、少しずつ身につけたもので、何ができるかも考えていきたいと思います。今年もよろしくお願いいたします。

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  • 素材について

    ブラタモリ見てますか?私はタモリさんが「いいとも」をされていた東京編の頃からのファンで、先日タモリさんが「鉄道好きっていうのは、着いた時に(グランドレベルで)その土地をすぐ見たいと思っていて、設計者の方はなんですぐに高架にしてしまうんでしょうね、おわかりになっていない。」というようなことを訴えてられて、云々と頷いたのは私だけでしょうか? 安全性や交通面ですぐに上げてしまいますが、電車に乗っている楽しさが半減するだけでなく、高架で街も分断されますよね。高層ビルの乱立やスケールアウトした建造物の建設や街づくりなども私にとっては感覚とずれてしまうものですが、人の感覚とずれて開発が進むのは一体誰が希望していることなんですかね。土地の高効率利用というけれど、空き家が多いくらいなのに、国土をもっと広く利用すればいいだけのことなんじゃないんだろうか。一見地面に見える人口地盤も思ったのと違う音がして、大地に立っている安心感がないんですよね。見えなければいいという問題でもないです。人の感覚は意外とするどい。  さて、4月から省エネ法の適応範囲が拡大したり、コロナ禍で考えさせられたり、東北の地震の時に感じた違和感のまま結局根本的には何も変えないまま10年ほど過ぎましたが、何等か作り方や流れそのものを改める必要があるように感じ色々考えています。 とはいえ、私一人で何が変わるんだろうと思いもするのですが、今は考えがすぐに繋がりやすいので、やってみたいと思います。 目標の設定です。とにかく必死に仕事をしていると忙殺し、もちろん施主とその場所で共感し、喜んでもらえることが一番ですが、そうやっていることの先に自分が何の役に立っているのか、少しでもそこに近づいているのかみたいなことがないと乗り越えられない気がしたのです。 学生の時に「何か新しいものを。見たことのないものを。」という指導に建築を作るということは何か消費活動に加担することになるのではないだろうかと悩んでいました。そうならないために、できるだけ長持ちするもの、長く愛されるものを作り、サイクルをゆっくりするしかないという考えに至ったのですが、9.11の時に感じた本来人を救うためにある宗教があそこまで追い込んでしまうことになった原因、東北の震災の時の人災の気持ち悪さ、そして今回のコロナ禍。薄々感じていたあやしさはやっぱり大丈夫じゃないと思ったのは私だけではないと思います。 気になったことは、 ①エネルギー問題 今や世界の問題になってしまった温暖化や気候変動の問題をクリアしないと先はないのではないか。その大きな要因の一つ、なくてはならないエネルギーはどうすれば負担を減らせるのだろう。世界中の人の豊かな生活を望むなら、もっとたくさんのエネルギーが必要になる。 ②ゴミ問題 エネルギーを削減しなければならないのに、なぜゴミ処理に追われるのだろう。 すぐゴミになるものを作らない、使わない、ゴミにしない方法を考えないと作ることにかけたエネルギーが無駄になり、処分にも力がいる。 ③資本主義の行く末 様々な問題の根源は私たちの社会システムの構造や哲学を考え直す時期にあるのではないか。 問題があまりにも大きく、全ての問題に対応できるわけではないですが、「住」に携わるものとして、どうすれば共生・循環型の生活ができるんだろうと考えた時、建築の場合、物質の伴うもの作りなので、システムの再構築が必要だとするとやはり素材・構成部材のとり扱いについて考えるしかないと思いました。建築をつくる上で美しさや空間のおもしろさは、今後も味わいたいですが、もっと差し迫った所にいる気がしてならず、まずはそのシステムの枠、倫理観のガイドを決めないと気持ち悪くなったのです。 素材を生かす(大事にする、個性を見る) 地産地消 突き詰めると、理想はこれです。なんだか美味しそうな言葉。結局それかよと言われそうですが。 あと、もうそんなに作らなくてもいいとすると 量より質  ・木造から検討する もちろんその他の構造も適材適所で検討します。けれど廃棄までのトータルエネルギーを考えると木造が一番省エネです。資源の少ない日本で自国で賄える安定した建材は木しかありません。また、戦後植えられた木が使うに適したタイミングになっています。杉ばかりの林を作ったことが良いことかわかりませんが、現実長い年月かけて育っているものがあるので、そこを使い回していくしかないんじゃないでしょうか。植えた木が使われることがある程度保障されれば、次世代の担い手が現れるはずです。そうなれば、今は育っているものを使って、次の50年はこれも試してみようかなと考えてくれるようになるのではないでしょうか。さらに近場で材料を調達できると輸送にかかるCO2やコストを削減でき、地元の林業やそれに係る産業が潤います。ネットでどこでも繋がれる時代ですが、地域での顔の見えるコミュニケーションは生きがいそのものにつながると思います。エネルギーも食材も建材も私たちが日常に必要なものはできるだけ近場で、情報は世界へというのはどうでしょう?ボタン一つで遠くのものが手に入ることは便利ですが、あまりの簡単さに私たちはそれがどういったことなのか、想像が追いつかないように思います。 木造は他の構造に比べると、スパンが短くなったりなど、特に無垢材利用ですと小規模になりやすい傾向がありますが、そもそも大規模な建物を作る必要がそんなにあるんでしょうか。また石造りなどに比べると改修時の自由度は高いです。 建材は町を作ります。世界中同じ素材で出来た同じような町よりも私は地域により個性を保った町を歩きたいと思います。 ・木質材料 合板や集成材も悪くはありませんが、特に構造材に関しては日本人ならではの特別な思い入れがあるように思います。無垢材で組みあがった建方の様子は美しいと感じます。仕上げてしまって見えないとしても、魂は売れないというか、そこは神聖な部分でできれば守りたいと思います。大黒柱は構造的な理由もありますが、生活に近いところで、どこか木の命を感じ安心したいのではないでしょうか。木のいいところは温かく生命力を感じるところですが、加工すればするほど生命感は無くなっていきます。職人さんの手は自然からいただいたたものに、命を吹き込む力があると思っています。その関係性を見ていると、生命感の残る材料の方が力を発揮できるように感じます。 ・既存建築物の利用 既存建築物を素材又はその集合体の一つだと考えてはどうだろうと思ったのですが、いかがでしょう? まずは今すでにあるものに対して、どうすれば最小限の工夫で自分と環境・物がいい関係を築き、快適に過ごせるかを考えてみる。   人口減少で段々建物が余る予測です。省エネを目指し、再利用を進める場合、再資源化するために戻りが少ないことがよりエネルギーを使わず済みます。 極論をいえば、もう私たちは廃墟のようになる予定の既存の街や建物を、手直しまたは間引きながら生きていくことが一番省エネではないかと思ってしまいます。そこでリノベーションやリフォームになりますが、できればリフォームにして安く済ませようという感覚の意識改革をしたいと思います。改修の場合、現場合わせの要素が多く、既製品がはめ込みにくい傾向があります。棟ごと、部分ごとに検討・作成する必要があり、手間がかかります。手間がかかるということは時間がかかり、人件費がかかります。そこのギャップが消費者に伝わりにくく、現場からの主張が必要に感じています。環境を守りながら、経済を動かしていくことを考えると、今後物質の伴わない交換、サービスを増やす必要があります。改修の場合、新築に比べると、新調するものが少なく安価に済みそうですが、その浮いた分を、新築ではする必要のない箇所箇所の個別の検討時間、部分解体費(やさしく壊すことも手間がかかります。)、少し高くても廃棄時にも負担が少ない材料、既製品では現場には収まらない職人さんの腕に頼る仕事に投資してると考えていただけるようになれば、品質の高いリノベーションができるようになり、一度したリノベーションの内容が次の使い手にも 引き継いでもらいやすくなると思います。 ・既製品、新建材  既製品は大量生産が必要な場合、便利ですが、一方で、原価に加え、広告費、そもそもサイクルが大きいので各工程で係る人が多く人件費など計上して価格設定しています。実際そのものとしての価格が妥当かというと難しいところもあります。建売など安い物件は既製部品を組み立てるような作り方をしていますが、単価が安いので時間的に忙しく、大工さんも出来上がったものに満足ができず、ただ疲弊するというサイクルになりがちです。お金は目的そのものにはならないと思いますが、ものごとを継続していく上では、いい関係と循環が必要だと考えています。建築現場でも人がものに使われることが起きています。この流れを止めるには消費者が何が今後に繋がる買い物か考えることが一番近道に思います。また新建材の多くは樹脂でコーティングされていて、製品を作る過程でも多くCO2を排出し、作り手も満足させず、住み手も継続して不快感があるのであれば、長く使うものに新建材を利用することに疑問があります。また日本中の建物が樹脂塗料や既製の外装材に覆われている現状の光景は美しいと思えません。 ・仕上げ 自然素材をお勧めしています。今までは経年変化が美しいから、安心感があるからという理由でお勧めしていましたが、生産時の加工の手間がシンプルで、使用時も快適で、廃棄も環境への負担が少ないのであらば複雑な材料を作り出す必要があるのでしょうか。自然素材は不均質で、精度が作り手によって左右されるところは不安要素ではありますが、人の個性が残ることは、おもしろさで、そうであるからこそ心して仕事にかかれるようにも思います。また手仕事は長い時間に渡って安心感を与えます。 ・設備 エネルギー問題に直結する部分ですが、エネルギーもできるだけ地産地消が良いのではないでしょうか。一番近場で作るとなると太陽光発電も検討する必要がある気がしています。美観と廃棄時のリサイクルがスムーズにいくのかという点、一機に導入が進んだ場合、電線等既設の設備が追いつかないのではという心配もありますが、遠くから運んでくるロスや、システムの大きさによって不明確になっているところもあると考えると身近で作る方が管理しやすそうに思います。再生可能エネルギー導入を進めていくには、地域によって自然環境が違うことを考えると、市単位くらいで、「うち(の市)ならこれができるな」と考えるのもおもしろそうだと思ったのですがいかがでしょう。個人に蓄電池まで負担させることはまだ設備費負担が大きいので、電気自動車への蓄電程度にとどめて、ため池のような感覚で、近所に地域の拠点として配置できないですかね。災害時にも地域で助け合うという認識で。そういったことが進めば、あの市はエネルギーの考え方が進んでいるから・安くつくからなどを理由に選んでもらえるようになりませんかね? 山の斜面を利用し、棚田が作られ、その流れで水が張られていく様子を私たちは美しいと感じますが、それは地形を読みエネルギーをうまく使い、調和しているからだと思うのです。そういったイメージで界隈のエネルギーを発掘できるといいんですが。地域の自然環境は重要な素材です。また電気エネルギーの形が使いやすいからか、今は何でも家電のようになっていますが、電気に変換せずにそのまま使えるエネルギーもたくさんある気がします。 ・断熱材、遮熱材 ・緑化、庭 人間がいなければ、そのうち緑が繁茂すると思います。人間の活動により環境破壊が進んでいますが、自然に還していくイメージで緑化してはどうでしょう。建築で思うような居心地の良い空間を作る労力や費用を考えると、木を植える方がすぐに効果が得られます。   以上、まだ方針のみでなかなかまとまらないのですが、一旦アップさせていただきます。まだ全部わからない、浅はかかもしれないとも思うのですが、同じように考えている人がいるとわかるだけでも励みになったり、希望を持てることもあると思います。全てわからなくても得意なことで案を出し合って進めば良いのではないでしょうか。 「美」というのは生命力を感じる感性で、自分が生きていくことに適した環境を人は美しいと思うそうです。この仕事をしている以上、そうでなくとも、そういった場所を増やしたい、守りたいと思ってしまうのです。特別な誰かの価値観に頼らず、もっとみんな自分の「美」を頼りに行動してもいいんじゃないでしょうか。個々に考えたとしても、その先に見えるものは結構近い景色にも思うのですが。

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  • 2021 新年のご挨拶

    明けましておめでとうございます。 お正月休みは皆さまいかがお過ごしでしたでしょうか。 今年は里帰りも延期して、家族水入らずでインドアなお正月を過ごしました。 年末から溜まっていたお祝いをあれこれ贈ったり、年賀状を早めに用意したり、お歳暮をいただいたり、直接会いにくいことは歯がゆいですが、贈りたい人がいることは幸せなことだなと思いました。 紅白もしっかり見て、結構な人が今年は同じように過ごされているのではないかと思うと妙な一体感で、画面向こうの音楽家の方や番組を作られている方がこの状況で何ができるかを考え、楽しませて下さった心意気に心温まりました。 年明けには夫の手作りおせちをみんなでご馳走になって、わが家にも2021がやってきました。 いろいろやりたいこともあるけれど、つきつめると人はコミュニケーションするために生きているのではないか、そのために他人と話したり、笑かしたり、歌ったり、お話を作ったり、ごちそうしたり、絵を描いたり、なにか自分ができる他人を喜ばせることを探すのではと思っています。 少なくとも私はそうで、このブログも「一緒に楽しいことしよう!」というお誘いで、未来の施主や、施工者、関係者に向けて書いているつもりですが、友達は「営業になってるかはわからないけど、元気はもらってるよ!」と言ってくれるので、今年もがんばっていきたいと思います。

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  • 学校再開

    3月始めから、3か月近く、娘同伴出勤が続いていましたが、ようやく学校が始まり一区切り。 皆さんはいかが過ごされましたか? 2月末から段々雲行きが怪しくなって、卒園式できるの?入学式あるの? 現場はどうなるの?輸入品や工業製品が入らない! なんか体がしんどい気もするけど大丈夫?

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  • 御手洗祭

    夜の御手洗祭に行きました。 普段はかない短パンをはいて、冷たい水に足をひたす。 夏の始めにキリッとけじめがつきます。 昼間プラネタリウムで勉強した惑星を探しながら帰りました。

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  • お誕生日いす

    出張から帰ると、お姉ちゃんが私の誕生日用の椅子を作って待っててくれていました。 忙しくて、殺伐としてしまう時もありますが、もともとは自分が好きでちょっと人より得意なことで誰かに喜んでもらえるようなことがしたくて、今に至ることを改めて思い出させてくれました。 物づくり系女子育ってます。

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  • 歌う

    グーンと空が高くなって秋の空。 あんまり気持ちよくて 大きく息を吸い込んでー。ハイ! 思わず歌うとまわりの空気がふるえて辺りが少し違って見えました。 夏場湿気に邪魔されて届きにくかった声がもう少しまで遠くまで振るわせて返ってくるようでした。 あたりまえのことなのですが、秋になって急に澄んだ空気の中歌ってみると、水面で波紋を作って遊んでいるときのような、空気を動かしているような感覚がして、声を出しては空気がふるえるのを試して、歌うってこういうことなのかなと改めて発見したような気がしました。 普段あれやこれやと、こっちから光を当てて、目線はこれくらいでどうかな‥などなど 建築という大がかりな装置で、思うような空間を作るため、微妙なことに悩んで時間を費やしますが、身一つでもしくは楽器さえあれば、一瞬でまわりの雰囲気を変えてしまう音楽は本当に憧れです。 何か楽しめる程度で良いから、楽器を練習しておけば良かったと思いますが、とりあえず歌う。 夕焼け小焼けの赤とんぼ~♪とか歌っていると、 「お母さんそんな寂しいうた歌わんといてよー」と言われながらも道端で歌い続ける私でした。

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  • 雨の日

    保育園までの通園路に雨水の枡があります。 普段は静かで気づきもしないのですが、雨が降ると、増えた水音が金属管に反響して、良く言うと、水琴窟のような音が鳴ります。 それに気づいた次女は雨の中じっと立ち止まって、雨で増えた水を眺めていました。 そういえば、お姉ちゃんも覗きこんで、金属管に反響する水の音、いつもより水量が増え、泡がぶくぶくなった水の様子を見て、「今日は水さん笑ってるねぇ」とニコニコ見ていたのを思い出して、こういう感覚大事に持っていきたいなと思いました。

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  • けんちくせっけい とは?

    お絵かき好きの4歳の長女の絵の中に、家が出てきました。 夫や私を見ているからか、私もおうち描いたよーと見せてくれました。 「あさひのおうちじゃないで、だれかのおうち」(たぶん、だれかのおうちを考えてあげたということだと)  「みんな尖ったのん持ってるけど、これはシカ(フォーク)。ご飯食べてるの。 お風呂にはかわいいタイル貼ってんねん。」 「おうちの前にはいっぱいお花が咲いてんの。」 そして、少し間をおいて大事そうに、 「・・・それでな、ここではみんなケンカしたり、押しあったりしないねん。」と 教えてくれました。

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  • ロラックスおじさんの秘密の種

    DVDのご紹介です。 アナと雪の女王が好きな娘たちにおじいちゃんが用意してくれたディズニーのDVD。 かわいい女の子たちが出てこないので、娘たちはコワイと言って、いまいちな反応だったのですが、その傍らで涙する私。「おチビちゃんたちはいまいちだったみたいだけど、良子がそんなに感動して良かった良かった。」と恥ずかしいことがありました。

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